みなさんこんにちは!
毎日ブログを書き続けて、ついにもうすぐ365日になる激うまバインミーです!
その時はぜひ、一緒にお祝いしてくださいね!笑
というわけで今回は、ベトナム料理の歴史についてお話してみたいと思います!
バインミーやフォーといった人気メニューのルーツはどこにあるのか?
中国やフランスの影響ってどのくらいあるの?
そんな疑問にお答えしながら、「ベトナムの食文化がどう育ってきたか」を、初期の稲作から現代まで、ざっくりとご紹介していきます!
初期
ベトナムは古くから稲作が栄えた国で、紀元前からお米を中心とした食文化が広がっていました。
中でもおかゆ、蒸し米、もち米などを主に食べてきたそうです。
このあたりは日本とも似ていますし、ベトナムの根幹にあるような食文化となっております。
中国支配
紀元前111年~939年頃に中国の支配を受け、お箸やスープ、炒め物、漢方の考えなどがベトナムに入ってきました。
その頃から魚醤もよく使われるようになっているようです。
魚醤はベトナムの北部の沿岸で古くから作られていて、その当時は魚と塩で作る発酵調味料でしたが、現在ではそれが進化して今の魚醤に至るそうです。
この魚醤は中国の影響を受けたわけではなく、ベトナム独自での文化になります。
日本でもよく使われる大豆の醤油も入ってきてはいたのですが、魚が豊富に取れ、温かく湿度も高い土地であったため、魚醤づくりに向いていたということもあって醤油より魚醤が広まったとのことです。
ちなみに、ベトナム近隣の国でも魚醤を主に使っている国がありますが、それぞれ国によって特徴があるみたいです。
ベトナムはヌォックマムと呼んでおり、タイはナンプラーで甘みが強いタイプ、ミャンマーはンガピャーイェーで濃厚タイプ、フィリピンではパティスと呼んでおり塩分が高めなタイプだそうで、味付けもそれぞれ違っているみたいです。
ベトナム独立
10世紀ごろに中国の支配から独立し、ベトナム独自の進化発展していきました。
特に地域ごとに特徴を持った食文化の発達が見られます。
ハノイがある北部では、中国の影響が強く残り、あっさりとした味付けが特徴になっています。
ダナンがある中部では、当時首都として栄えていたこともあり、王宮や貴族文化が進化していくことになりました。
その中で宮廷料理と呼ばれる、地位の高いとされる人にふるまう料理文化が生まれ、繊細で美しく、手間のかかるような料理がこの土地で広まるようになりました。
ホーチミンのある南部では、暑い気候と多民族の影響で、甘めの味付けやハーブを多用した料理が主流になっていきました。
フランス植民地
19世紀ごろになるとフランスの植民地となり、ベトナム料理に大きな影響を及ぼすこととなりました。
フランスパン、レバーのパテ、コーヒー、シチューなど、現在でもベトナムを代表とする料理文化がこの時にベトナムに広がり、バインミーやベトナムコーヒーが独自の進化を遂げていきます。
とはいえフランスの支配下であったベトナムで、なぜこんなにもフランス文化を受け入れるような動きがあったのかと疑問ですよね。
その大きな理由に、フランス人がベトナムの上流階級の人として存在することになったため、同じく都市部に住むベトナム人にとっては、フランスの文化を取り入れることが出世への道とされていたからだそうです。
特にベトナム人の官僚や知識人などは、フランス語を学び、フランス流の生活をすることが、偉くなるために必要と思い取り入れるようになっていったようです。
ベトナム人のなかでも上流階級となった人がフランス流の生活をしているとなると、それに憧れて真似をするようになったというのが都市部では広がりを見せました。
さらに、ベトナムに元々あった魚醤やハーブなどが、フランス料理との相性も良かったこともあり、新たな文化としてバインミーにおけるパンと魚醤とレバーパテの組み合わせであったり、ベトナムコーヒーに練乳を入れる組み合わせであったりが生まれ、広がることになりました。
一方で農村部は都市部への憧れは弱く、フランスにかぶれた人たちを見て反発をすることがあり、伝統文化を守ろうとする動きがみられ、都市部とは違った成長を遂げることとなったようです。
そんなわけでベトナムの国家が誕生し、中国の支配から独立、フランスの支配から独立を遂げて、現在のベトナムが形成されていったという流れになります。
まとめ
ざっくりまとめると、米文化が根付いたところに、中国文化とフランス文化が入り混ざって、ベトナムで独自の進化を遂げたというのがベトナム料理の歴史と言えるのではないでしょうか。
これらを意識しながらベトナム料理を楽しんでみると面白いんじゃないかなと思います!
というわけで今回も読んでいただきありがとうございました!
また明日もどうぞよろしくお願いいたします!
では!
